チャップリンの命を救った日本人~その1~

おはようございます♪( ´θ`)ノ

名倉 正です。

今回も、 引き寄せ大学の メールコーチプレミアムの内容を チョイ見せ(´ε` )!

チャップリン4部作の一部を、 お送りしますよ〜♪( ´θ`)ノ

今、この瞬間 集中して一生懸命やりきる!

そんなことの積み重ねが 大きく未来を切り開いていきます。

イチローも 『小さいことを積み重ねるのが、 とんでもないところへ行く ただひとつの道だと思っています』

と言っていますね。

人生の中では 先が見えない時期や、

なかなかうまくいかない時期も あるかと思います。

そんな時も、 自分を信じて踏み出した一歩は、 必ず素晴らしい場所につれていってくれます。

今日は、 あまり知られていない ある日本人のお話をしますね。

1972年 喜劇王チャールズ・チャップリンは

アカデミー賞特別賞受賞式場で 黒柳徹子さんに出会います。

黒柳さんが 「私は日本から来ました。」 と言ったのを聞いた途端。

チャップリンは 「Japan!」 と言ったっきり、 涙ぐんでしまったそうです。

チャップリンは、 日本という言葉から かけがえのない大切な人間を 思い出したのです。

その人は、高野 虎市。 (こうの とらいち)

チャップリンを18年もの間 支え続けた日本人です。

1900年に 日本から移民として渡米していた高野さんは、

1916年に運転手を募集していた チャップリンに採用されました。

その当時、高野さんは、 飛行機のパイロットの資格を とったものの、 事故を起こしてしまい、

仕方なく、元の運転手の仕事に 戻ったところでした。

本当はやりたくない運転手の仕事。

しかし高野さんは、 どうせやるならと 全身全霊!一生懸命働きます。

しだいにチャップリンも、 高野さんの働きっぷりを気に入り

様々な仕事を まかせるようになりました。

チャップリンは著書に 高野さんのことをこんな風に書いています。

「高野は何でもする。 看護夫、乳母、侍者、 秘書、護衛、何でもした。

彼は日本人で、 私のためには何でも屋だった」

チャップリンは がんがんムチャぶりしてくるわけです。

それに高野さんは ひとつも手を抜く事なく、 一生懸命とりくんでいきました。

チャップリンは 高野さんの働きぶりに感激!

日本人すげーーー!!!

ってなります(^^;;

自身が雇っていた 料理人、使用人などを 次々と日本人に変え、

最も多い時は 17人の使用人すべてが 日本人だったこともあるほどです!

二人の関係は、 単なる主従関係を超えて

最高のパートナーになっていきます。

チャップリンの奥さんの 浮気を押さえようと 2人で探偵ごっこしたり、

チャップリンの あまりにも長すぎる散歩に 付き合わされた高野さんが ぶっ倒れて寝込んだり、

自家用飛行機を操縦する高野さんが 燃料切れのふりをして 同乗するチャップリンに 壮絶なドッキリを仕掛けたり! (^^;;

チャップリンが怒って 「お前は首じゃ!」と言って

高野さんがそのまま釣りに出かけて 撮影所に行かないと

チャップリンの方が 高野さんを迎えに来たり。。

信頼の厚さを感じますね!

そして高野さんは チャップリンの命も 守ることになります。

1932年に来日した時、 チャップリンは、 日本訪問をしたきっかけについて、 次のように答えています。

「日本人はみんな親切で正直だ。 何をやるにつけ、信用ができる。

そのため自然と日本人が好きになった。 こんな人たちを作り出している 日本という国は、 一体どんな国だろう? 一度行ってみたいものだと思い始めた」

チャップリンが来日すると 大歓迎を受けました。

しかし その翌日に五・一五事件 (犬養毅首相が海軍の青年将校に暗殺された) が起きます。

その時、実は 「世界的に有名なチャップリンを殺せば、 アメリカと戦争できる」

と考えた青年将校によって、 チャップリン暗殺計画も 同時に練られていました。

首相と共にチャップリンも 殺害する計画だったのです。

それを聞きつけた高野さんは、 チャップリンの命を守るために、 驚くべき行動に出ます!

その行動とは・・・・

続きは明日 お楽しみに(^^)/

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